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書評 / 『幸せになる勇気』岸見一郎・古賀史健

アドラー心理学の思想についてまとめた「嫌われる勇気」の続編の「幸せになる勇気」。

初めて「嫌われる勇気」を読んだ時に、戸惑いと驚きのあとに、希望や前向きな気持ちが芽生えたのを覚えています。

嫌われる勇気の書評はこちらです。

そしてその続編の「幸せになる勇気」。

本書では、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。そして、どうすれば人は幸せになれるのかの答えが述べられていました。

教育の目標は「自立」

アドラー心理学では、教育の目標は「自立」であり、教育の入り口は「尊敬」にあるとしています。

「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。」

つまり、ありのままのその人を認めて、「勇気づける」ということが相手への尊敬なのです。

他者の関心事に関心を寄せるという「共感」する技術が、対人関係で求められる、尊敬の具体的な第一歩です。

前作、「嫌われる勇気」にも書いてあった通り、人間は過去の原因に突き動かされる存在ではなく、現在の目的に沿って生きています。

言い換えると、過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって自らの生を決定しています。

自分の人生を決定するのは「いま、ここ」を生きる私なのです。

「いまの自分」に満足していないと、人は「いま」を肯定するために「過去」をも肯定します。

これは、「あんなふうだったら、こんなふうだったら」と、可能性のなかに生きようとしているだけ。アドラー心理学的に、人は「自らの生を選びうる」と考える時に、自分の「いま」が過去を決めているということになります。

今までこのように、「過去でさえも今の自分が決めている」とは考えたことがありませんでしたが、順序立てて考えてみると、確かに、過去の出来事を良いとするのも悪いとするのも、すべてはいまの自分ですよね。

アドラー心理学の考え方にはいつも新しい発見と納得感があります。

自分の人生は自分で選ぶことができる

「変えられないもの」に執着するのではなく、「変えられるもの」を直視せよ。

文中に出て来るこの言葉も心に響きました。言い訳はせず、今ある現状の中で最大限に行動していきたいです。

また、カントの言葉の中に、「人間が未成年の状態にあるのは、理性がかけているからではない。他者の支持を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからだ。つまり人間は自らの責任において未成年の状態にとどまっていることになる。」という言葉があります。

「自分の理性を使う勇気を持て」とも述べられていました。人は、他者の支持を仰いで生きているほうが楽なのです。これは日常生活でも感じることがあると思いますが、自分で決めたことの責任は全て自分だけど、他者が決めたことの責任は自分にとっては軽くなりますよね。だから気持ち的に楽なのです。でもこれは、人間として未成年の状態にあるのだということが書かれていました。

そして大人は、子供を自分の支配下に置いておくために、未成年の状態におきたがるのです。でもこれは、教育の役割は果たしていません。

本来、教育は、自分の人生はすべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料があれば、それを提供していくことなのです。

「わたしであること」の勇気

アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えています。つまり、孤立したくない、共同体の中で認められたいという欲求です。しかし、この他者からの承認には終わりがありません。

ほめられることで幸せを感じるひとは、人生の最後まで「もっと褒められること」を求めてしまうのです。

では、どうすればいいか。この答えは、自らの意思で自らを承認するほかありません。そして、「わたし」の価値を自らが決定することを「自立」と呼びます

「人と違うこと」に価値をおくのではなく、「私であること」に価値をおくことが個性になる。

自分で自分を認めてあげるというか、判断軸を全て自分にすることって、理屈ではわかっていても難しいことですよね。他者と関わりながら生きている人間にとって、人とついつい比較してしまう場面って生きていく中でたくさんあると思います。でも、それだとずっと比較する人生になってしまう。だからこそ、まずは自らの手で幸せを獲得したいな、と感じました。

嫌われる勇気にもあった通り、全ての悩みは対人関係の悩み。逆に、すべての喜びも対人関係の喜び。

与えよ、さらば与えられん

なぜ「仕事」が人生のタスクになるのか

人間はひとりでは生きていけないから他者と分業をしなくてはなりません。さらに分業をするためには、その人を信用しなければならない。

この分業社会においては、「利己」を極めると、結果として「利他」につながっていくと考えられます。つまり、利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです。

先に「信じる」こと

無条件の信頼」を相手におくことができるかどうか。ここがアドラー心理学では大きな壁になります。相手を信頼するということは、相手を尊敬するということにもなります。

相手が自分を信じていようといまいと、自分は相手のことを信じ続ける。こんなこと、普通に考えたらできません。

でも、「他者のことを信じられない」ということは、「自分を信じることができていない」という状況と同義なのです。つまり、自分を信じることができるからこそ他者を信じることができるのです。

自己中心的な人は、「自分のことが好きだから」自分ばかり見ているのではありません。ありのままの自分を受け入れられないからこそ、不安にさらされて自分にしか関心が向かないのです。この状態では、アドラー心理学のいう交友関係には踏み出せずにいる状態で、幸福は得られません。

まずは、目の前の人に信頼をよせて目の前の人と仲間になる。そうした小さな信頼の積み重ねが平和を生み出すのです。

愛する人生を選ぼう

他者から愛されることは難しいですが、「他者を愛すること」はその何倍も難しい課題だとアドラー心理学では述べられています。

愛とは2人で成し遂げる課題で、その主語は「わたしたち」です。

つまり、愛は利己的な「わたしの幸せ」を求めるのでもなく、利他的に「あなたの幸せ」を求めるのでもなく、「わたしたちの幸せ」を求めるもので、人生の主語が変わるのです。「わたし」だった人生の主語から解放されることで「自己中心性からの脱却」を果たし、自立します

愛は自立であり、大人になること。だからこそ愛は困難です。

「他者から認められること」を目的とした「他者の望むわたし」から脱却し、与えられる愛の支配から抜け出しましょう。

また、「嫌われる勇気」にも出てきた課題の分離の考えからすると、「愛することは私の課題で、相手が私の愛に応えるかは他者の課題」ということになります。

ここまでくると、だんだんアドラーの言いたいことも検討がつくようになってきますよね。

つまり、愛する勇気とは、幸せになる勇気なのです

「愛し、自立し、人生を選べ」。

この言葉で締めくくられていました。

幸せになるためには、まず愛するという、とてもシンプルな結論。

世界はシンプルであるけど、シンプルであり続けることはむずかしい、「なんでもない日々」の中で歩み続けることが勇気なのです。

「嫌われる勇気」に続き「幸せになる勇気」もまた、人生のバイブルになるような一冊でした。